前略、家族が増えました。



 数週間前まで咲き誇っていた桜の花は散り落ちて、新緑の季節へと移り変わる頃。既に新しいクラスにも慣れたとある三年生の教室は、昼休みも終わりに近付くというのに未だに生徒達の声で賑わっていた。
 そんな教室の窓際で輪になって談笑していた一人の少女が、三階であるそこから外を見下ろして何かに気付いた様に声を上げる。
「あっ!王子だ!」
 その少女の視線の先には、午後一番の体育の授業の為、校庭に集まる数人の生徒の姿があった。紺色に白い線の入った同じジャージを身に纏う姿は、一見すれば学年の違いも分からず全員が同じ様な人間に見える。
 しかし少女の声に反応して同じ様に外を覗きこんだ者達は、その中からなんの迷いも無く一人の男子生徒の姿を捕らえた。
「本当だー!王子だ!」
「相変わらず目立つなーあの子は」
 彼女達の視線を集める『王子』と呼ばれる少年は、確かにその中で一人だけ存在感を知らしめていた。
 校則で決められた暗い髪色には程遠い、蜂蜜の様な綺麗な髪にガラス玉みたいな深い碧色の瞳。それに加えて端麗な顔付きに、華奢な体付、身長こそ小さいもののその姿はあまりに他の少年たちとはかけ離れていた。それはまるで英国の王子様の様な出で立ちで、故に少年はその名で呼ばれる。
 そんな姿に見惚れる女生徒たちの熱い視線に気が付いたのか、王子と呼ばれた少年はふいに振り返りそちらへ視線を向けた。切れ長の大きな目がこちらを見た事に気分を昂らせた少女たちは、反射的に手を振って見せる。しかし王子はそれに何の反応も示さずに、直ぐにそっぽを向いてしまった。
「相変わらず、可愛く無い王子だなー」
「あのつれない感じが、いいんだよ!」
 物足りないと言いたげな言葉に対する反論に、他の女生徒も分かる分かると続いた。その見た目と愛称とは裏腹に、愛想が無く笑みすら見せぬ彼の性格もまた魅力の一つになり得た。
「――あっ!王子と言えばさ!」
 彼の話で盛り上がる輪の中で、一人の少女が何かを思い出した様に声を上げる。
「あの噂の転校生、見た?」
 好奇心に目を輝かせて面白いものを探す様にそう問い掛けると、数人の少女が同じ表情で頷いた。
「王子と同じ二年生の子でしょ!見た見た!!」
「ああ、転校生ってもしかしてあの…?」
 どこか興奮気味に少女達は、口を揃えて答え合わせをした。
「そう!王子と同じ――金髪、碧眼の女の子!!」
 その答えに顔を見合わせると、今度は秘め事を打ち明ける様に声を抑えて言葉を続ける。
「実はさ…聞いた話によると、その子と王子って…――」
 授業開始のチャイムの音にも気付かずに、女生徒たちは話を続ける。そんな会話など聞こえる筈も無いのに、話の中心人物の王子――鏡音レンは、不機嫌そうに眉を顰めた。



「――そういえば鏡音と転校生って、生き別れの双子って本当?」
 放課後の穏やかな陽が射し込む図書室では、数人の読書部の生徒が静かに本を読んでいる。
 そんな中、オレは返却された本を棚に戻す部長の手伝いの為に、山積みにされたそれを抱えて後を付いて回っていた。そんな最中、突拍子もなくそんな事を問われたものだから、体勢を崩しそうになった自分をどうにか立て直す。
「はあ…またそんなよく分かんない噂流れてんですか?」
 オレは態とらしいくらいにでかい溜め息を溢して、呆れた様に返答する。
「あー。そういう反応って事は嘘なのね」
 前を歩くミキ先輩は、本棚に本を戻しながら然程興味無さそうに頷いた。
「ウソですよ!」
 つい感情的に強めの口調で返すと、ミキ先輩は横目でこちらを眺めながらオレが持っている本へと手を伸ばす。
「まあ、そうだろうとは思ったんだけど。クラスの子達が騒いでたからさー」
「先輩達にまで、変な噂が広がってるんですね…」
 一つ分の本の重みが無くなったというのに、楽になるどころか気分が重くなった。ミキ先輩はそんなオレの様子など気にせずに、手に取った本と棚に並ぶ本とを照らし合わせながら口を開く。
「でも一緒に暮らしてるのは事実なんでしょ?」
「まぁ、そうですけど。…つーか、ただの遠い親戚ですから」
 マイペースな口調で問い掛けられて、オレは少し眉を寄せながら面白くなさそうに答える。
 只でさえ悪目立ちするこの髪と瞳のせいで、入学当時から勝手に注目され続けた。
 一年経ってやっと皆が慣れて来たというのに、数週間前にアイツが転校して来てからまた話題の人扱いされて正直うんざりしているのだ。確かに同じ髪色に瞳に名字、しかもとある事情から同じ家に住んでいるとなれば噂の的になるのも仕方無いのかもしれないが…。
「変な噂立てられて迷惑してるんですよ!そんな嘘みたいな話、ある訳ないじゃないですか!」
「まあーそうだよね。でもまあ、それが嘘ならすぐにほとぼりも冷めるんじゃない?」
 どこか他人事の様に言いながら、先輩は本を片付ける作業を続けた。
 確かに全てが嘘ならばこんな噂は消えてなくなるだろう…と、脳内で浮かんだ言葉を飲み込んで、眉を顰めると抱えていた本を持つ両手に力を籠める。

 ――キーンコーン…カーンコーン
 下校のチャイムが鳴り響いたのは、ちょうど抱えていた本が無くなった頃。その音を耳にするなり、オレはまだ本棚を探っていた先輩に声を掛ける。
「チャイム鳴ったんで、オレ先に帰らせてもらいますね」
 ミキ先輩はああもうそんな時間かと独り言を述べながら、特に引き留める様子も無くお疲れと言ってオレに手を振る。オレは頭を軽く下げると、まだ本に夢中になっている部員たちに一言声を掛けて図書室を後にした。
 そもそも早めに帰れるからと選んだのがこの部活なので、規定時間を過ぎてまでここに残る理由はない。
 誰かに姿を見られれば王子だなんだと注目され、影でコソコソ噂をされるこんな場所からは早々に立ち去りたいのだ。オレは正面玄関へと足早に歩を進めると、運動部の活気溢れる声を背に学校を後にした。
 数分経ってやっと学校の生徒の声が小さくなってきた頃に、オレは安堵の溜め息を吐いて歩を緩め、肩の力を抜くと家路へと歩き出す。
 しかし鉄筋コンクリートの団地が何棟も立ち並ぶ道に差し掛かった時、オレの足取りは急に重たくなった。
 視界に入って来たのは、その団地の間に作られた公園の入り口。そこに備え付けられたU字型のポールに腰を下ろした、同じ中学の制服を着た女子の姿。少し強めの春の風に靡かれた肩に掛かるくらいの髪は、傾きかけた太陽の光に溶け込む様な金色――オレと同じその髪の色が嫌に目に痛くて眉を寄せる。
 このまま気付かぬ振りで通り過ぎてしまおうかと思った時は既に遅く、オレの姿を見付けた瞬間にソイツは嬉しそうに立ち上がった。
「レンくん!部活お疲れ様です!」
 まるで犬みたいに人懐っこい笑顔で声を掛けられ、オレは相反して不機嫌に顔を強張らせる。
「なんでお前ここにいるんだよ…部活は?」
「今日は早かったので、レンくんを待ってました!」
 ぶっきらぼうに問い掛けながら、決して足を止めずに歩き出すオレを責める事もせずに数歩遅れて付いて来た。
「待ってなくていいよ!勝手に帰ればいいだろ…」
「はい!でも一緒の所に帰るなら、たまには…と」
 突き放す様な事を言った所で、後ろから聞こえる声の調子は変わらない。そんな態度が益々オレの機嫌を損ねているだなんて、きっとコイツには分からないだろう。オレは周りを見渡して、他に生徒がいないのを確認すると足を止める。それに合わせてもう一つの足音が止まるのを聞きながら振り返ると、一瞥する様にその顔を見やる。
「変な噂流れてるらしいけど、お前…バラしたりしてないだろうな?」
 低い声で問い掛けたオレの言葉にソイツは大きく頷くと、同じ色の碧い瞳で真っ直ぐにオレを見据える。
「そんな事しません!」
 迷いないその声に、嘘は無い事だけは感じ取れた。
「そうかよ…」
 それだけ言うと、オレはまた体を向き直して歩き出す。

 コイツからあんな噂が流れる訳が無いのは、分かりきってるのだ。
 だって、真実はそれよりもっと質が悪いのだから。

 遠い親戚でも赤の他人でもましてや双子でも無い、オレとコイツ――リンの関係は、母親違いの兄妹なのだから。

 三年前に死んだ父さんが、ずっと昔に浮気相手との間に作った子供がコイツだ。
 いっそ噂通り生き別れの双子ならば、感動的な再会というやつも出来たかもしれないが、とてもそんな気持ちにはなれなかった。
 十四年間、独りっ子として生きて来たオレの前に突然現れた、同い年の妹。思春期真っ只中のオレには、それはあまりに受け入れがたい真実だった。
 しかし皮肉な事に、この髪と瞳の色がオレ達を兄妹であると物語っているのだ。
 そんな事実にオレは酷く憤って、素直に認められる事が出来ずにいた。だからせめて学校では異母兄妹という事は伏せて、遠い親戚という事にしてその事実から抗おうとしているのだ。

 商店街に足を踏み入れた所で、オレの歩幅にどうにか付いて来ていたリンに声を掛けられる。
「レンくん!今日は何をお買い物なさるんですか?タイムセールなら、お力になりますよ!」
「そんなにいっぱい買う必要ねーよ…一人で行ってくるから、お前戻ってろよ」
「でも!折角なので、お手伝いさせて下さい!」
 いくらオレが冷たくあしらった所で、リンは怯む事無く犬みたいに付いて来る。コイツなりに役に立とうとしている様だけど、こちらとしては迷惑極まりない。人通りの激しい場所に二人でいる事が、どれだけ目立つのか考えるとより嫌気がさす。少しだけ足を早めて歩き出し、十字路に差し掛かかったその時――
「レーン!リーン!」
 商店街に響く程の大声で名前を呼ばれて、思わず二人揃ってそちらへと顔を向けた。人混みの中でこちらに向かって大きく手を振っている作業用つなぎを着た短い茶髪の三十代前半の女の姿にオレは口の端を引き攣らせる。
「メイコママ!」
 その姿を発見するなり、嬉しそうにリンは声を上げた。駆け足で寄ってくるその人に向けて、オレは悪態を溢す。
「母さん!でかい声出すなよ!恥ずかしいだろ!」
 強めの口調で言った所で、母さんは気にする訳もなくオレの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「まったくあんたは、可愛くないわねー」
「あーもーやめろよ!!」
 高い所から押さえ付けるその手から身を引いて逃げ出せば、母さんの手は空かしを食らって宙を切った。
「メイコママ、お帰りなさい!」
 そんないつものやり取りを微笑ましいとばかりに見守っていたリンは、母さんの顔を覗きこむとそう声を掛ける。
「ただいまリン!あんたは本当に可愛いわねー!」
 言いながらオレにした様に力強く頭を撫でると、リンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 普通ならば外に子供がいただなんて父さんの裏切りに、一番傷付いて、事実を受け入れられないのは母さんの筈だ。しかし母さんは、それどころかリンを自分の娘の様に可愛がっている。
 いや、そもそもコイツをうちに連れて来たのが、母さんなのだ。
 それは、つい一ヶ月前。なんの前触れも無く、『この子カイトの子供で、あんたの妹。今日からうちに住むから!』と、オレの了承を得るでも無く半ば強引に決められた。
 反論したものの、親の金で生きている義務教育を卒業もしてないガキには、逆らえる術など無いのだ。
 オレはそんな二人のじゃれあう姿を眺めて、逃げ出す事も諦めて大きく溜め息を零す――



 テーブルに置かれた鮭の切り身の最後の一口を飲み込むと、母さんは音が鳴るくらい大袈裟に手を合わせた。
「んーご馳走様ー!今日もレンのご飯は美味しくて、お酒が進んじゃうわねー」
 実に幸せそうな顔で満悦した声を上げると、そのまま脇に置いてあった缶ビールをぐびっと飲み干す。
「はいはい…母さんは酒が呑めればいいだけだろ…」
 綺麗に食べ終えた空の食器を集めながら、既にほろ酔い気味の母さんに呆れ気味で答えてキッチンに向かう。ケラケラと上機嫌に笑う母さんに遅れを取って、リンも続いて手を合わせた。
「私も美味しかったです!ご馳走さまでした!」
 少し慌てた様子でそう言うと、自分の茶碗などを重ねて急ぎ足でオレを追ってキッチンに入って来た。
「レンくん!今日は私が洗いますよ!」
 意気込んだ申し出を耳にしながら、既に腕捲りを始めていたオレは不躾に断る。
「いいよ、別に。あっち行ってろよ」
 そのまま水道のレバーを上げて水を出すが、さすがに強く言い過ぎたかと横目で様子を探る。リンは口元で笑みを作ったまま、困った様に眉を下げた。今までこんな風に、オレの言葉に押し負けるヤツなど周りにいなかったので、そんな顔をされてもどうしたらいいか分からない。
「…あー…だから、お前はいつもの様に母さんの相手をしてくれればいいから」
 少し息を吸い込んで、精一杯落ち着いた声でそう言えば、リンは少しだけ顔に明るさを取り戻して歯切れのいい返事をした。
「はい!」
 そのままオレの後ろを通ってキッチンの奥に進むと、冷蔵庫から缶ビールを、食器棚から小さなコップを一つ取り出す。それらを持ってテーブルへと戻ると、待ってましたとばかりに母さんは手を伸ばした。
「あら、ありがとうリン」
 それを受け取ると、そのまま膝立ちで移動して居間の隅にある小さな棚の前に座る。そこには一つの写真立てが飾られていて、母さんはその前に手に持っていたコップを置いた。
「ほらカイト!あんたの娘が持ってきてくれたわよ。ありがたく頂きなさい!」
 缶を開けてコップに注ぎながら、まるでそこにいるかの様に語りかける。写真の中の父さんは、青黒い髪の下の目を細めて、ただ静かに柔らかく微笑むだけで何も返さない。そんなの虚しくならないだろうかと思うのだけど、母さんはいつも嬉しそうにそれを行った。その後ろに座っているリンもまた、同じ様に写真に微笑みかける。
「まったくこんな髪色で、クォーターだなんて笑っちゃうわよね!」
 母さんは缶に口をつけながら、片眉を下げてお決まりの憎まれ口をリンに聞かせ始めた。
 純日本人にしか見られない事を悔しがって、隔世遺伝で金髪が生まれたら信じてと言うのがそれに付け加えられる父さんのお決まりの台詞だった。
「だからレンが金髪で産まれた時に、バカみたいにはしゃいで嘘じゃなかったでしょとか言っちゃってさー!」
 声を出して笑いながら語る思い出話は、正直もう耳に蛸が出来るくらい聞かされてオレは飽々していた。アイツだって既に何度も聞かされているだろうに、飽きるどころか嬉しそうに耳を傾けているのだから関心する。

 ――父さんが死んだのは三年前。
 昔から呼吸器に病を患っていた父さんは、風邪を拗らせて肺炎にかかってそのまま…。  オレの中の父さんのイメージは、体が弱くてまともな仕事をする事が出来ないくせに、トラブルばかり持ち込む父親らしからぬヤツ。お人好しで気が良すぎるが為、捨てられた猫を放っておけず、困っている人は助けたがり、そのせいで人に騙される事も多々あった。それなのに、いつも笑顔でいるお気楽な男。
 母さんは苦労ばかりかけられていたのに、どうしてかそんな父さんを責めたりしなかった。
 だけど死んだ後まで、リンという今までで最大級の迷惑を残した父さんを、オレは許す事が出来ずにいるのだ。

   そんな父さんとの思い出話に花を咲かせていた母さんは、懐かしむ様にリンを見つめた。
「リンの笑顔は、カイトによく似てるわね」
「本当ですか?」
 先程よりも更に嬉しそうに声を上げたリンに釣られて、腑抜けた笑みを溢すと母さんはその頭をポンポン撫でる。
 オレの心情などそっちのけで、随分楽しそうなやり取りはひどく面白くない。
 母さんへの反抗心と、父さんへの不信感、リンに対しての拒絶とで募る苛立ちが、最近オレの心にゆとりを無くしている。
 そんな二人から目を反らすと、水の勢いを強くして自らの耳に入る音を遮断した。